ヤスクニ

親兄弟姉妹が自殺した(あるいは殺された)場所はココロが拒絶する。それはまあ、当然(たぶん)。それどころか、最後に別れた場所(玄関だったり庭先だったり)であっても、繊細なヒトにとっては彼(あるいは彼女)を思い出す契機となるため、やはりココロが拒絶する。

それが、当事者(死者および生存者)から遠くなればなるほど、ココロの拒絶は一気に低くなる。これも当然だ。おれは隣の部屋の住人がアパートの階段で滑って転んで他界したとしても、その階段を拒絶しないだろう(夜になるとちょっと怖いけど)。

つまり、ある種のタブーがあった場合、身内であればあるほど、そのタブーに対する拒絶の度合いは高くなるわけだ。

そう考えると、いまのヤスクニの置かれた状況というのは、身内度の低いヒトばかりが集まってくる祭りの場でしかないように見える。代弁者の代弁を行なうためのヒトばかりというか。「イタコか、おまえら」みたいな。

その身内度の低い対象に、どのように接するのがヒトとして正しいのか。“気分”に踊らされることなく、ちゃんと考えないとまずいなあ、とおっちょこちょいのおれは考えたわけです。

というわけで、もっとも気をつけなければならないのは、いま生きてあるヒトビトだろうなあ。

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