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津田さんのTwitterでシンポジウム「闘論!週刊誌がこのままなくなってしまっていいのか」で登壇した編集長たちの発言が断片としてあがっていたので、読んでいたわけだが。
もはやブランドを確立したので気の利いたアジテーションさえしておけばOKな爺さん連中の発言でもなく、会社の看板を意識して(たのか?)個人的な理想論に走ることもなく、ゴハンに直結した声を読めたのが収穫。
たとえば、これ。
週刊ポスト「週刊誌は売ってナンボ。スクープは何か、それは編集者が決めるのではなく、読者が決めるもの。部数を稼いでいろいろな人に読んでもらう。その中で雑誌ジャーナリズムを読んでもらうという順番だと思う。僕が編集長のときはどうやって売るかということしか考えてなかった」 tsuda@twitter
週刊ポスト「週刊誌は売ってナンボ。スクープは何か、それは編集者が決めるのではなく、読者が決めるもの。部数を稼いでいろいろな人に読んでもらう。その中で雑誌ジャーナリズムを読んでもらうという順番だと思う。僕が編集長のときはどうやって売るかということしか考えてなかった」
結局のところ、読者目線で彼らが“なにを欲しているのか”からしか誌面は作れないという当たり前の話をしているのだけれど、これが実は一番難しい。モノは言いようなんだけど「不特定多数のニーズを集約しにくい時代」ともいえるし。だからこそ、Webでなければならない側面があるわけだし。で、最終的に辿り着くのは金とオンナだったりして、それはそれでペテンを全開にしないと、もはやニーズに追いつけないし。
そういう意味では女性週刊誌(とくに「女性セブン」)の先々代編集長に参加してもらうべきだったんじゃないかな。「女はバカだから、これくらいじゃないとダメ」と平気で言うようなヒトだったからなあ。そういうヒトに、今のニーズについてガチで語っていただきたいもんだ。
一方、個人的に一番ヒットしたのはこれ。
週刊金曜日「雑誌は何で買われるか。それは暇つぶし。佐野さんの本は俺も持っているが、佐野さんが連載した雑誌は捨てた。今の暇つぶしは何か。ネットかケータイ。暇つぶしのものとしてやっている以上、雑誌が売れるわけがない。今の雑誌のビジネスモデルは終わってる」 tsuda@twitter
週刊金曜日「雑誌は何で買われるか。それは暇つぶし。佐野さんの本は俺も持っているが、佐野さんが連載した雑誌は捨てた。今の暇つぶしは何か。ネットかケータイ。暇つぶしのものとしてやっている以上、雑誌が売れるわけがない。今の雑誌のビジネスモデルは終わってる」
“雑誌暇つぶし説”ってのは、これもまあ、定説っちゃー定説なんでアレなんだけど、たとえばおれらがコドモのころは、電車での移動が主で、しかもその時間がハンパない。だから旅行となるとコドモはトランプを、オトナは花札を旅行バッグに忍ばせていた。もちろん旅館に着いてからのお楽しみではなく、移動中の暇つぶし。
長距離移動の時間をうっちゃってくれる王様がトランプ(花札)であれば、自宅から会社程度の移動の暇つぶしの王様は新聞であり週刊誌であり文庫本だった。
それが、まあ、いまや携帯とDSなんだよなあ。たしかに「暇つぶしのものしてやっている(作っている?)以上、雑誌が売れるわけがない」。だからといって“暇つぶし”以外の立ち位置を目指したら、それはもはや雑誌(週刊誌)じゃないような気もする。まあ、それを真剣に考えるところからはじめないと、雑誌(週刊誌)は再起できないわけだけれど。
一方で「再起するにしても出てくる場所は別に紙でなくてもいいじゃん」といってる(っぽい)のが、こちら。
週刊大衆「週刊誌が人々の生活のサイズに合わなくなった。それは紙に刷られたこの週刊誌という形が人々のライフスタイルに合わなくなっただけで、雑誌的な情報、楽しみというものは残るだろうなと思う。なんとしても他誌が倒れても自分のところは新しい時代に備えて生き残りたいと思っている」 tsuda@twitter
週刊大衆「週刊誌が人々の生活のサイズに合わなくなった。それは紙に刷られたこの週刊誌という形が人々のライフスタイルに合わなくなっただけで、雑誌的な情報、楽しみというものは残るだろうなと思う。なんとしても他誌が倒れても自分のところは新しい時代に備えて生き残りたいと思っている」
雑誌的なコンテンツ(それは単に下世話ということではなく、きちんと企画として練られ取材が行われ文章が推敲され、すなわち“編集”されたコンテンツ)でさえあれば、(それを嗅ぎわけ楽しむDNAは誰にでも必ずあるはずだから)どこのメディアで展開されようがいいじゃん。って感じか。わからんではないんだけど、個人的にはライフスタイルに合った紙メディアを(ドン・キホーテ的に)志向したいとは思う。
田島「今の若い学生は週刊誌なんか見ない。新しい技術を加えていくということが我々の社会には大事。右であれ左であれ、やり方がどうであれ、新しいものを作っていかなきゃいけない。情報を隠したがる部分に切り込んでいって情報を出すというところには応援をする」 tsuda@twitter
田島「今の若い学生は週刊誌なんか見ない。新しい技術を加えていくということが我々の社会には大事。右であれ左であれ、やり方がどうであれ、新しいものを作っていかなきゃいけない。情報を隠したがる部分に切り込んでいって情報を出すというところには応援をする」
そりゃそうなんだけど、だいたい“応援”って言葉ほど胡散臭いものはないんでねえ……。というか、それ別に週刊誌の話でもなんでもないんじゃないかという。ノンフィクション作家が減るというのなら、わからなくはないし、むしろ週刊誌がなくなると、いわゆる取材のあり方とか取材の方法とか取材時の仁義の切り方とかが継承されずに、下手するとクオリティがガンガン下がるという懸念はあるなあ。
で、以下は読んでて思わず笑っちゃったもの。
佐野「雑誌は読者のもの。読者が知りたいことを我々が代表質問する。それはかなりリスキーだし命がかかることもあるがやりがいがあること。さっき暇つぶしという言葉があったが、アミューズメントもエンタテインメントも娯楽と訳すが、両者は違うもの。前者は暇つぶし」 tsuda@twitter
佐野「雑誌は読者のもの。読者が知りたいことを我々が代表質問する。それはかなりリスキーだし命がかかることもあるがやりがいがあること。さっき暇つぶしという言葉があったが、アミューズメントもエンタテインメントも娯楽と訳すが、両者は違うもの。前者は暇つぶし」
もうね。「読者が知りたいことを我々が代表質問する」ってのが、胡散臭い。まあ、これは“時のヒト”をマイクで取り囲むテレビ映像のイメージが刷り込まれてるせいもあるんだけどさ。カッコいいこと言っちゃうと“読者目線で誌面を構成する”のと“読者の代表として対称に切り込んでいく”のは、レイヤが違うんだよね。切り込んでいくときはやっぱり“個人”だと思うんだよ。だからこそ、多人数の目線が絡み合う雑誌というスタイルが面白かったわけだし。おれにとってはね。
あとさ、細かいことだけど、アミューズメントもエンタテインメントも、基本的には暇つぶしだよ。暇もつぶせないようなエンタテインメントなんて屁の役にも立たない。エンタテインメントに接して暇つぶし以上の感興を得られることもあるから(あったから)、雑誌が賑わったんだ。そこを勘違いすると、
佐野「僕は暇つぶしではなく、エンタテインメントを書いてきたつもり。楽しんで仕事やってないという話があったが、それは今の雑誌が一本調子だよということだと思う」 tsuda@twitter
佐野「僕は暇つぶしではなく、エンタテインメントを書いてきたつもり。楽しんで仕事やってないという話があったが、それは今の雑誌が一本調子だよということだと思う」
なんてえ発言になる。
今の雑誌が一本調子かどうかは知らんけど。少なくとも中途半端ではあるなあ。それはきっと“エンタテインメントをやっている”なんていう意識の下で芸のない文章を書き綴っているからじゃないかとかウッスラ思ったり。
10:15 | Add comment | #magazine #think | PermaLink
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津田さんのTwitterでシンポジウム「闘論!週刊誌がこのままなくなってしまっていいのか」で登壇した編集長たちの発言が断片としてあがっていたので、読んでいたわけだが。
もはやブランドを確立したので気の利いたアジテーションさえしておけばOKな爺さん連中の発言でもなく、会社の看板を意識して(たのか?)個人的な理想論に走ることもなく、ゴハンに直結した声を読めたのが収穫。
たとえば、これ。
結局のところ、読者目線で彼らが“なにを欲しているのか”からしか誌面は作れないという当たり前の話をしているのだけれど、これが実は一番難しい。モノは言いようなんだけど「不特定多数のニーズを集約しにくい時代」ともいえるし。だからこそ、Webでなければならない側面があるわけだし。で、最終的に辿り着くのは金とオンナだったりして、それはそれでペテンを全開にしないと、もはやニーズに追いつけないし。
そういう意味では女性週刊誌(とくに「女性セブン」)の先々代編集長に参加してもらうべきだったんじゃないかな。「女はバカだから、これくらいじゃないとダメ」と平気で言うようなヒトだったからなあ。そういうヒトに、今のニーズについてガチで語っていただきたいもんだ。
一方、個人的に一番ヒットしたのはこれ。
“雑誌暇つぶし説”ってのは、これもまあ、定説っちゃー定説なんでアレなんだけど、たとえばおれらがコドモのころは、電車での移動が主で、しかもその時間がハンパない。だから旅行となるとコドモはトランプを、オトナは花札を旅行バッグに忍ばせていた。もちろん旅館に着いてからのお楽しみではなく、移動中の暇つぶし。
長距離移動の時間をうっちゃってくれる王様がトランプ(花札)であれば、自宅から会社程度の移動の暇つぶしの王様は新聞であり週刊誌であり文庫本だった。
それが、まあ、いまや携帯とDSなんだよなあ。たしかに「暇つぶしのものしてやっている(作っている?)以上、雑誌が売れるわけがない」。だからといって“暇つぶし”以外の立ち位置を目指したら、それはもはや雑誌(週刊誌)じゃないような気もする。まあ、それを真剣に考えるところからはじめないと、雑誌(週刊誌)は再起できないわけだけれど。
一方で「再起するにしても出てくる場所は別に紙でなくてもいいじゃん」といってる(っぽい)のが、こちら。
雑誌的なコンテンツ(それは単に下世話ということではなく、きちんと企画として練られ取材が行われ文章が推敲され、すなわち“編集”されたコンテンツ)でさえあれば、(それを嗅ぎわけ楽しむDNAは誰にでも必ずあるはずだから)どこのメディアで展開されようがいいじゃん。って感じか。わからんではないんだけど、個人的にはライフスタイルに合った紙メディアを(ドン・キホーテ的に)志向したいとは思う。
そりゃそうなんだけど、だいたい“応援”って言葉ほど胡散臭いものはないんでねえ……。というか、それ別に週刊誌の話でもなんでもないんじゃないかという。ノンフィクション作家が減るというのなら、わからなくはないし、むしろ週刊誌がなくなると、いわゆる取材のあり方とか取材の方法とか取材時の仁義の切り方とかが継承されずに、下手するとクオリティがガンガン下がるという懸念はあるなあ。
で、以下は読んでて思わず笑っちゃったもの。
もうね。「読者が知りたいことを我々が代表質問する」ってのが、胡散臭い。まあ、これは“時のヒト”をマイクで取り囲むテレビ映像のイメージが刷り込まれてるせいもあるんだけどさ。カッコいいこと言っちゃうと“読者目線で誌面を構成する”のと“読者の代表として対称に切り込んでいく”のは、レイヤが違うんだよね。切り込んでいくときはやっぱり“個人”だと思うんだよ。だからこそ、多人数の目線が絡み合う雑誌というスタイルが面白かったわけだし。おれにとってはね。
あとさ、細かいことだけど、アミューズメントもエンタテインメントも、基本的には暇つぶしだよ。暇もつぶせないようなエンタテインメントなんて屁の役にも立たない。エンタテインメントに接して暇つぶし以上の感興を得られることもあるから(あったから)、雑誌が賑わったんだ。そこを勘違いすると、
なんてえ発言になる。
今の雑誌が一本調子かどうかは知らんけど。少なくとも中途半端ではあるなあ。それはきっと“エンタテインメントをやっている”なんていう意識の下で芸のない文章を書き綴っているからじゃないかとかウッスラ思ったり。
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