どうでもいいことだが(というか、どうでもいいことしか書かないのが、このBlogのポリシー(!?)なわけだが)、版元の人間が“良書”といってはイケナイなあ、とつくづく思う午後なのだった。
もちろん作り手は“よい本でありたい”とは思うけれど、最終的に“良書”かどうかを決めるのは読者でしかないのだ、という当たり前のことが欠如しすぎなケースが多々あるからなあ。
もっと言っちゃうと、企画段階では“すげーよい本”なんだけど、出来上がってみたら森林資源の無駄遣い以外の何ものでもなかったり。あるいは洋書なら“良書”だったのに、翻訳したら“悪書”になってしまったり。ラジバンダリ。
というか、“良書”を免罪符にして企画を通すってのが、まあ、間違いなんだけどね。それくらいならブランド戦略の一環とかコミュニティの囲い込みとか、今後のロードマップの布石として企画してくれたほうが、もっとシアワセになれるような気がする。
個人的には、とりあえず、媚びることなく普通に対価(時間と価格)をカバーできる(あるいはカバーしてあまりある)製品を作れたらなあ、とか思ってみたり。
明日には忘れてるんだけどね。